【土の家を見に行く】の巻

今日は、前からの夢だった【土の家】についてお話します。

最近、テレビをにぎわす住宅偽装問題にも関心がありますが、
じゃあ、本質はなんだろう、というのをみつめる機会がいよいよ
きたのではないでしょうかー。

以前、ひとりでアイスランドやデンマークを旅したとき、
自然にとけこむ、とっても素敵な土の家や藁(わら)でできた家に出会いました。

なかでも私のデンマークの友人<ジョン・アンダーセン>が暮す家は
河のほとりに建つ、土と藁でできた家でとても素敵な家でした。
それは私にとって、とても衝撃的ですぐに憧れの存在となりました。

彼は、建築家でもあり、北極を旅する冒険家でもあり、
ジブンの人生をとことん愛している、生き方そのものに対して憧れを感じるシーカヤッカー(日本ではあまり知られてはいませんが、ヨーロッパではかなり有名)です。
妻のスーザンは画家で、その夫婦の話や出会いを話すと少し話がそれるので別の機会にお話しますが、とにかく素敵な夫妻が愛す、その家の放つエネルギーが、私の感性を震わせました。

彼らの家に1週間滞在し、なめるようにその家の感触を確かめた私は、
土だからこそできる、「自由な家のカタチ」「土の放つ心地よさ」を知りました。
それは、空間創りや、暮らしの風景を究極のアートだととらえて空間を創るという考え方で、必要なものをただ並べる日本の最近の箱の家とは異なりました。
もっと家を立体的、総体的に、それは物理的な立体ではなく、説明が難しいですが、暮し方をも芸術的に、日々感性に響くものの創り方なのだと思いました。

それはきっと、食べ物や他のことでも一緒で、人間はただお腹いっぱいになればいいのではなく、できるまでのプロセスや見た目で感性を満たし、さらに舌で味を楽しみ、お腹を満たします。

家もいっしょで、本来はただ用が済ませるだけのものではなく、感性に響く空間でなくてはいけないのだと感じました。光や風やその土地の土や素材などを生かすという、昔の日本の茶室は、その究極だったのではないかと、今では思います。

しかし、いろんな事情でそういったものが少なくなり、実際に私も家を建てるときに、土の家で建てたい!木で建てたいと思いながらもいろんな問題にぶつかりました。それは商業地域という条件だったり、時間的なものだったり・・・。
そして結局、モダンな建物が出来上がり、なるべく自然素材のものを使うように軽い抵抗はしてみたものの、なーんだ、ジブンもやっぱりこういう家を建ててしまった・・・という罪悪感にしばらくさいなまれてました。

この家はこれで、結構気に入ってますが、
本来私の創りたかった空間は、いい意味で風化していく家だったり、
カタチが自由に変えられる家でした。

そして、そんな想いがとても強くなってきたころ、偶然友人たちからそれにまつわる情報が集まり、いよいよそれを実現させる時期を模索しはじめました。まずはタイに住む友人から、土の家で孤児施設の一部を作っている団体の話を聞き、さらには仙台でも面白い建築家ユニットととの出会いがあり、その中のお一人が土の家で蔵を建てたというので、今日それを見学してきました。

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あー、土ってやっぱりおもしろい、とあるコドモの頃の遊びを思い出しました(すみません、話があちこち飛んで・・・。)
そういえば昔、土でおだんごを作って、固めて遊んだな、と。

そう、雨降って地固まるではないですが、土って
グニャグニャになったり、水を含んで乾くと壁になったりと
なんにでも姿が変わります。

これなら子供でも遊びながらできるし、
しかも機能的にもすばらしい!
私の夢は子供たちもおじいちゃんも皆で一緒に
遊びながら、アートな家を作ることです。


たとえば、海にはヨガができるメディテーションハットを創ったり
山には森のなかのコテージだったり・・・。
ハタケを囲む、小さな土の家ヴィレッジを創りたいと考えています。
そのためにはまず、過去からいろんなものを学び、本質を見抜く目を養わないといけないのかもしれませんね。

今日は、とても素敵な出会いがありました。
とっても難しそうコトを、あえてそれを実現してカタチにしていく人達ばかりに出会いました。
私の夢も可能かどうかはわかりませんが、それに向けて動きだしていこうと思っています。
【土の家プロジェクト】といえるほどではありませんが、
思い描けばきっといろんなチカラで現実になっていくと信じて
動いてみます。


みなさんも目にみえないものをカタチにする楽しさ、ご一緒できたらいいですね。

それでは、そろそろ眠りにつきます。

あー、今週末のお休みも素敵な出会いの連続でした。
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