シーカヤッカー・ダンルイスが伝えたかったコト
2006年7月2日 wrote
19歳ではじめてシーカヤックという道具に出会い、
2回目に知床半島を周り、3回目に漕いだ場所は
カナダのバンクーバー・アイランドだった。
「カナダに面白いカヤッカーが居るから習いに行け」といわれ
素直に独りで向かった。
その人の名は「ダン・ルイス」。
無人島に暮らし、朝はシーカヤックで出勤し、
レインフォレストと呼ばれる森とフィヨルドのなか
シーカヤックやハイダ族の話を教えると同時に地球環境の保護運動を伝えていた。
まだロハスというコトバもなく、エコという活動すら少なかった時代に
私にしきりに言っていたのは
「HIROKO、NTTのイエローページをやめさせろ!」というコトバだった。
つまり、カナダや中国の木を切って、イエローページや
割り箸を作っているのだ、というのだった。
そっか~といいながら、14年。
いつか辞めさせてみたい、という野望はあっても
まだ行動できていない私。
しかも時々イエローページを活用しちゃってる。
それならハチドリ計画のように少しずつ自分にできることから。
と思って、始めたのが
「マイ箸」運動。
いつかはこの箸袋を可愛く作って販売することで普及させたい。
もちろん私たちのイベントでは割り箸禁止。
そして、いま私にできるもうひとつのこと、
それは一緒に時間を共有する方たちへ
いろんな方やエスキモーから教えられたことを伝えていくこと。
自分にできることから少しずつ。
シーカヤッカー・ダンルイスがあのとき話していたコトバが
今ごろになってココロを打つ。
しかもハチドリ計画のイラストもカナダの民族・ハイダのイラストだ、偶然にも。
たくさんいい出逢いをしていたんだな、私。
こひろ談
2回目に知床半島を周り、3回目に漕いだ場所は
カナダのバンクーバー・アイランドだった。
「カナダに面白いカヤッカーが居るから習いに行け」といわれ
素直に独りで向かった。
その人の名は「ダン・ルイス」。
無人島に暮らし、朝はシーカヤックで出勤し、
レインフォレストと呼ばれる森とフィヨルドのなか
シーカヤックやハイダ族の話を教えると同時に地球環境の保護運動を伝えていた。
まだロハスというコトバもなく、エコという活動すら少なかった時代に
私にしきりに言っていたのは
「HIROKO、NTTのイエローページをやめさせろ!」というコトバだった。
つまり、カナダや中国の木を切って、イエローページや
割り箸を作っているのだ、というのだった。
そっか~といいながら、14年。
いつか辞めさせてみたい、という野望はあっても
まだ行動できていない私。
しかも時々イエローページを活用しちゃってる。
それならハチドリ計画のように少しずつ自分にできることから。
と思って、始めたのが
「マイ箸」運動。
いつかはこの箸袋を可愛く作って販売することで普及させたい。
もちろん私たちのイベントでは割り箸禁止。
そして、いま私にできるもうひとつのこと、
それは一緒に時間を共有する方たちへ
いろんな方やエスキモーから教えられたことを伝えていくこと。
自分にできることから少しずつ。
シーカヤッカー・ダンルイスがあのとき話していたコトバが
今ごろになってココロを打つ。
しかもハチドリ計画のイラストもカナダの民族・ハイダのイラストだ、偶然にも。
たくさんいい出逢いをしていたんだな、私。
こひろ談